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比企氏ゆかりの地ーNO.4はこちら  

作品のバックナンバー(比企氏ゆかりの地ーNO.3:比企判官塚・三門館跡)

(比企判官塚ー東松山市岩殿) (三門館跡ー比企郡滑川町和泉三門)
そのかみの比企の( )とや秋深し 稲筵(いなむしろ)偉人育てし山河かな
比企判官塚は比企能員の孫(四男比企時員の息子)の比企員茂(正法寺で生まれたが新潟県の佐渡へ隠棲し、後にこの子孫が繁栄する)が1218年頃に能員の菩提を弔うために正法寺(岩殿観音)の近くに築いたものです。鳥居には「比企太神」と刻まれております。比企能員は将軍の外戚でしたが詳しい記録が残されていないので、知る人ぞ知るになっていたのかもしれません。しかし、2022年のNHK大河ドラマに登場するので、これを機にメジャー的な存在になって欲しいと思います。 三門館は、源義朝(源頼朝の父親)の兄弟で源義賢(群馬県吉井町あたりから比企郡嵐山町大蔵に進出し大蔵館を構えた)と不仲になり、義賢を監視する目的で義朝の家臣であった比企遠宗(比企能員の父親)を比企郡の郡司として居住させた所です。そして頼朝の乳母であった比企尼(比企能員の母親)が伊豆の頼朝の所へ運んだ米は館の前に広がる田園で収穫された米のようです。館跡を眺めていると、和泉三門産のお米を食べてみたくなりました。

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