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作品のバックナンバー(2023/04)

(根岸邸の金子兜太句碑ー熊谷市兜山) (自治会の山吹園ー東松山市野田)
兜太句碑へ花の絨毯敷きつめて 道灌の山吹手折るにはか雨
金子兜太は熊谷市に在住していた日本を代表する俳人の一人でした。根岸邸は熊谷直実(平安から鎌倉時代にかけての武将)の末裔と言われる方が御住みの屋敷で、ここの長屋門は埼玉県内で最大規模といわれるもので、これに沿って桜があり、散ると絨毯のようになり、兜太を祝福しているようです。句碑には「草莽の臣 友山に 春筑波峰」が刻まれております。「友山」は江戸時代に近在の名主を務めた”根岸友山”です。
太田道灌(上杉家の家臣)には「山吹伝説」があります。鷹狩時ににわか雨に遭い、農家に蓑(みの)の借用を頼んだが山吹の一枝を差し出すのみだったので道灌は怒って帰宅しました。後に和歌の「七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき」を教えられ、農家は蓑も買えないほど苦労しているのが解り、自分が無学であることを恥じたとの伝説です。私は山吹が咲くと一枝折って無学を反省しております。

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