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作品のバックナンバー(2020/04)

(五加木垣ーご近所宅にて) (雉子ー近在にて)
上杉家の歴史を伝え五加木垣(うこぎがき) 雉子(きじ)鳴くや兄の形見の釣り道具
上杉家は関ケ原の戦い以降、会津から米沢に転封され、この時に120万石から30万石に減封されましたが家臣の殆どはそのまま米沢に移りました。その後も江戸時代に更に減封され、最終的には15万石になったので大変生活が窮乏し、藩主が上杉鷹山の時代には武士も農業や商業を行ったり、節約の為に土塀や石垣の代わりとして有棘で防犯になり又、食糧にもなる五加木で垣根を作りました。これらの苦労や武士の誇りを忘れないように現在でも米沢市の武家屋敷には五加木垣が保存されております。尚、写真は山形よりご近所に来られた方のもので私もご賞味させて頂きました。 は20年近く前に亡くなり、私と同じく釣りが趣味でしたので形見に釣り具を貰いました。兄はフナなど湖沼の釣りでしたが雉子の羽根で釣り道具を手作りする程凝っておりました。しかし私は岩魚などの渓流釣りでしたし、兄は東京に住んでいたので余り会えませんでしたが会った時は釣り談義になったり、現在マスコミでも盛んに報道されている桜を見る会で関係している某ホテルも案内して貰った事もありました。岩魚釣りは殆どが3月下旬に解禁となり、丁度雉子が激しく鳴き出す時期でもあります。私ももう釣りは出来ませんが雉子の鳴き声を聴くと兄のことや釣りのことが懐かしくなります。

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